考えるおるにちん

おるにちんがマンガアニメその他について考えたこと

俺はうる星やつらの竜ちゃんが好きだーーー!!!!(ざば~ん)

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ふと思い出した。私はうる星やつらの藤波竜之介が大好きなことを。それでちょっと考えたことがある。

まず、この記事を読んだ記憶があってこのことを考えついた。『〈らんま1/2〉は革新的トランスジェンダーアニメだったのだろうか?』by Aurora tejeida

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LGBTQ関連のトピックに敏い人や、高橋留美子ファンは目にしたことがあるかもしれない。

ところで、後者ならトランスジェンダーときいて真っ先に思いつく留美子作品キャラがもう一人思い出すはずだ。

俺は女だ~~~!!!!!

そう、らんまより前に連載されていたうる星やつらに出てくる藤波竜之介である。以後竜ちゃんと呼ぶ。

竜ちゃんを知らない人向けに軽く説明すると、竜ちゃんは身体が女性であるが、経営する海の家を継がせたい竜ちゃんの父親によって(竜ちゃんちは父子家庭である)男性として育てられた人間である。父親の「しつけ」は強烈なもので、二次性徴で膨らんだ胸を出来物と呼んで薬を塗ったり、セーラー服を着ることを禁じたりしている。また、竜ちゃんちはとても貧乏で、子供の頃に、父親によって松茸を敵だと思い込まされて、父親に独り占めされたりなど、ハチャメチャな親子のやり取りを繰り広げる。

連載中期のマンネリを救った画期的なキャラの2人‥‥と言われているけど、私は竜ちゃんの親父はどうしても好きになれなかった。

簡単な話、竜ちゃんの親父は、私の大好きな竜ちゃんのゆく道をことごとく邪魔しているようにしか見えなかった。

竜ちゃんはサラシを巻いて胸をおさえ(作中では、クラス内で竜ちゃんの胸はラムの次に大きいことが分かる)、学ランを着て学校に向かう。同じクラスでセーラー服を着ているしのぶ(主人公あたるの元カノ)にときめいたりする。歴代の好きな人はみんな女の人である。そして、俺は女だ!!!と言って父親の手からセーラー服を取り返そうとする。この試みは上手くいかなかった。

荒っぽい言葉を話し、学ランをきて(ウテナの女子用学ランではなく男物の学ラン)、女の人にときめく竜ちゃん。読者から見れば、男みたいな見た目と振る舞い(この振る舞いの中には、女性を好きになることも、時代背景や今でもあるマッチョな考えに基づくと、入るだろう)の人物が、自分は女だと言っているねじれや、その人物が女性の体を持っていることを知っているはずの親がそれを押し切って男だと言い張る強引さをギャグとしてかいていることが分かる。

竜ちゃんは、女性の体を持ち、自分を女性と自認している。竜ちゃんの振る舞いは周りから男っぽいと見られている。父親からは男であることを強制され女性の体を封じられている。

それでも彼女は叫ぶ。
俺は女だーーーー!!!!!(ざばーーーん)

みんなでさけぼう

俺は(任意のアイデンティティ)だーーー!!!!(ざばーーーーーん)

『少女革命ウテナ』のチュチュは暁生のコスプレをしてないと思う

チュチュは作中の振る舞いから見るに、アンシーの心の代弁者である。アンシーは、薔薇の花嫁であることに絶望し、他人を信じず、心に完璧な壁を作って笑顔の仮面をぴっちりと被った人間である。振る舞いと内心が別れ別れになったその人の心を、アンシーが大事に育てているチュチュが彼女の心の表現を担っている。
チュチュのネクタイは、鳳学園女子学生のスカーフと同じ柄であり、暁生のネクタイとは全く違う柄と色である。チュチュは暁生には憧れていないように思う。好きだった頃のディオスならともかく。
そして、そんなチュチュは、大抵の登場人物に邪険にされる。ウテナだけは、チュチュを大事にする人なのだ。つまり、ウテナだけは、アンシーを大事にして思ってきたのだ。
学園のスカーフとネクタイをはずし、最後に肩に乗ってくるチュチュにアンシーは微笑む。彼女らはようやく、ひとつの統合された自己になれたのだろう。

 

(この記事は自分のnoteから転載したものです。)

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女の子が読めば少女漫画なのか????

『『鬼滅の刃』で20年間失われていた「努力する主人公」が帰ってきたーーー少女マンガ編集者に聞くヒット作と時代の変化』https://alu.jp/article/kOyx6lll8bfy1UsFImfL(2020年10月12日閲覧)

を見ての感想です。私の頑固な少女マンガ観からくる怒りをこめています。

 編集側に少女マンガ雑誌としてメイン読者層に何を読んでもらうか選別する責任があるのに、今少女マンガは人気がない!いつからか恋愛ものばかりに偏ってしまったから!女の子が読めば少女マンガです!といって暗にジャンルの育成や定義づけの責任を読み手側に丸投げしているのが気に食わなかった。

 極めつけは、鬼滅の刃を、いま日本で1番多くの女性が読んでいるから今一番売れている少女マンガだというのだ。自虐が過ぎる。自分が背負ってる少女マンガの看板を自分から明け渡しているこの編集長に怒りを感じている!それこそ生殺与奪の権を他人に握らせるなよ!

 商業漫画作品のジャンルは、作品が掲載された雑誌が規定しているという視点は案外見落とされているように思う。たとえば、骨太な作風の作品が少女マンガ雑誌にのって、世に出たとして、「これはもはや少女マンガの枠を超えたものだ!」と褒め言葉として言う人がいる。いや!!!その作品は少女マンガを拡張はしても少女マンガでないものではない!!!!枠を広げるのだ!!!!

 そうやって拡張した各ジャンルの世界を、(時に成人男性が読むのに耐えうるというニュアンスを含んで)もはや別の既存ジャンルだ!とか言う。そのことの罪深さに多くの人間が気がついていない。罪だよ!いちジャンルの中でのバリエーションの豊かさを簒奪する罪!わしゃおこるぞ。

 

(この記事は自分のnoteを転載し加筆したものです)

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走れレズビアン足立区を

芽路スミカは激怒した。必ずかの邪智暴虐の議員を除かねばならぬと決意した。スミカには政治はわからぬ。スミカは、ツイッター廃人である。与太を呟き、フォロワーと遊んで暮らしてきた。けれども同性愛差別に対しては人一倍敏感であった。

きょう未明スミカは村を出発し、野を超え山越え、十里はなれた此のアダチクスの市にやって来た。芽路スミカには、父も、母もない。近々、花嫁を迎えることになっていた。結婚式も間近かなのである。スミカは、それゆえ、花嫁の衣裳やら祝宴の御馳走やらを買いに、はるばる市にやって来たのだ。

花嫁はこのアダチクスの市で石工をしている。芹奈チヨカである。芽路スミカと、芹奈チヨカは遠距離恋愛カップルである。その花嫁を、これから訪ねに行くのだ。久しく逢わなかったのだから、訪ねて行くのが楽しみである。

スミカは待ち合わせた市の食堂で親子丼を頼み、テレビのニュースに目を向けた。アダチクスの議員シライシが何ごとか述べていた。

「あり得ないことだが、日本人が全部L(レズビアン)、全部G(ゲイ)。次の世代、生まれますか」

「LやGが足立区に完全に広まってしまったら、子どもは1人も生まれない」

「LもGも法律で守られているという話になっては足立区は滅んでしまう」

(※注:以上朝日新聞デジタル『足立区議「同性愛者、法律で守られたら区滅ぶ」批判続出』https://news.yahoo.co.jp/articles/7a4f21dd2ecd5c2a9ae8c93591659ee29a27b5fd(2020年10月6日閲覧)より引用)

スミカは、隣の若い衆をつかまえて、何かあったのか、二年まえに此の市に来たときは、全ての民は平等であった筈はずだが、と質問した。若い衆は、首を振って答えなかった。店主の老爺に、こんどはもっと語気を強くして質問した。スミカは、両手で老爺のからだをゆすぶって質問を重ねた。老爺はあたりをはばかる低声で、わずか答えた。

「議員は、人を差別します。」

「なぜ差別するのだ。議員は乱心か。」

「いいえ、乱心ではございませぬ。悪心を抱いている、というのですが、誰もそんな、悪心を持っては居りませぬ。ただ、生産性や合理性の問題だと言うのです。」

聞いて芽路スミカは激怒した。

「呆れた議員だ。生かして置けぬ。少なくとも議員にはしておけぬ。」

スミカは、単純な人間であった。芹奈チヨカと合流し、親子丼を食べたあと、買い物を、背負ったままで、のそのそアダチクス議会事務局に入っていった。たちまち彼女たちは、警備のものに捕縛された。チヨカは石工用の金槌を持っていたため、騒ぎが大きくなってしまった。スミカとチヨカは、議員シライシの前に引き出された。

「この金槌で何をするつもりであったか。言え!」

「私たちが婦婦(ふうふ)として住む、新居の基礎を作るためです。」とチヨカは悪びれずに答えた。

「おまえたちがか?」議員は、憫笑した。

「人の生き方を批判するつもりはないが、LGBT(の権利)を法律で保護するのも反対だ」

(※注:同上記事より引用)

 

芽路スミカはため息をつき、チヨカに目配せをした。芹奈チヨカは、めんどくさそうに胸元から飛行石を取り出し、掌に乗せ、芽路スミカはそれに自分の掌を重ねた。

「「ユリバルス!!!!」」

たちまち白百合の衝撃波がスミカとチヨカを中心として発された。光が満ち溢れ、人々の目は眩んだが、無傷であった。祝宴の馳走の欠片はアダチクスの市を隅々まで満たし、全ての人の飢えは満たされた。花嫁の衣装は、凍える人をおおっていった。白百合と桃色の薔薇の花弁が辺りに振り積もっていた。議員シライシは、衣服を吹き飛ばされ白百合の花粉でベトベトになった裸体で、こう言った。

「Lにこのような力があるとは!こどもを産む存在ではなくとも、わしの国に役に立つ存在であったとは!わしはおまえらの権利を認める!おまえらの望みは叶ったぞ!」

 

芽路スミカは腕に唸りをつけて議員の頬をぶん殴った。

 

 

 

 

(同性愛者が足立区を滅ぼすという白石区議の発言に断固抗議する目的でこれを書きました。私が激怒したから走れメロスです。)

 

(この記事は、自分のnoteからの転載し一部変更したものです。)

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『はみだしっ子』「雪山事件」におけるヘロイン所持者の動向と摂取したグレアム、マックスへの影響

この記事は自分のnoteから転載したものです。日付は2020年当時のものです。

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スタジオライフの公演『はみだしっ子 ~White Labyrinth~』がとうとう、今週の水曜日、1月8日から始まりますね。

 公演詳細は下のリンクから確認してね!

 White Labyrinthーー白い迷宮の名の通り、通称「雪山事件」パート名は『山の上に吹く風は』の舞台化です。とうとう!!!雪山事件が!!!舞台化!!!私ははみだしっ子の話の中で何か一本舞台にするならこれだとずっと思っていたので感無量です!!あの雪山事件をスタジオライフの皆さんがどんな舞台にしてくれるのか楽しみです。

 その舞台が公開される前に、私なりに雪山事件を改めて振り返ろうと思います。よかったら読んでいってください。

※このさき『はみだしっ子』のストーリーの核心に近いネタバレがあります。マンガ未読で舞台で『はみだしっ子』を追っている方、はみだしっ子」を最後まで読んでいなくてこれから読もうとしている方は、まっさらな気持ちで『はみだしっ子体験』をするために、この先を読むことをお勧めしません!私の気持ちとしては禁止したいくらいです!ネタバレ警告です!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※繰り返し、『はみだしっ子』を読んだり観たりする予定があって、原作の展開を最後まで知らない方は、この先を読むことを進めません。ものすごいネタバレです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の従来の「雪山事件」の見解

 山の頂上へ向かうバスに乗っていたらバスジャック事件に巻き込まれ、マックスが夢うつつの状態で人を殺してしまい、グレアムは狂い、4人はばらばらになる。そして数年後養子に入り、グレアムはマックスの代わりに事件を「清算」しようとして失敗した。4人以外の事件の唯一の生存者、アルフィーが死んだことでマックスの殺人を隠ぺいして困る人間がいなくなった。そしてグレアムはジャックたちに自分がギィを射殺したと告白する。おいで!クークー!はみだしっ子、完

 高校生のころ、毎晩はみだしっ子を繰り返し読んでは、4人の子供たちの心の動きに共感するのに忙しかった私は、雪山で遭難している最中のマネージャーやシャーリーのセリフ、刑事の取り調べシーンで明るみになった情報など、主要キャラ以外の動きにあまり注意を払っていなかった。私はシャーリーが最初からヘロインを所持していて、雪崩の後カップルの女の死体のバックからヘロインが出たのは、雪山で女かカップルの男がシャーリーを刺殺して奪ったからだと思っていた。後述するが、それはマンガ内で事実として表現されたものとは違っていた。

 その後、受験勉強を経て毎晩読むこともなくなり、夜の時間は大学生活や新しく読み始めた『Sons』にとってかわり、『はみだしっ子』は本棚の奥深くにしまい込まれた。高校生のころの記憶をもとに絵を描いたりツイッターでしゃべったりしていた。

 マックスがヘロインを摂取していたことに気づいたのは、マンガについての授業の課題としてはみだしっ子を題材にレポートを描くために単行本を読みながら扉を閉めるときの擬音語表現にひたすら付箋を貼って数えていたころだった。それで作中に示されたヘロイン、薬の記述をもとに作品内事実を整理する記事を書こうと思って、またひたすら付箋を貼って読んだ。すると今までの自分の見解以上のことが考えられることが分かった。

前置きが長すぎた。ここからが本題だ。

ヘロインは人間にどのように作用するか

 「山の上に吹く風は」に登場する薬物は、ヘロインと作中にはっきりと書かれている。

マネージャー「やめろシャーリー もうヘロインなんかやめるんだ」三原順(1977)『はみだしっ子4山の上に吹く風は』白泉社 50ページより引用

 覚せい剤でも、コカインでも、大麻でも、モルヒネでも、あいまいにぼかされた「ヤク」という表現でもない。ヘロインである。ということは登場する薬がヘロインであることに確実に意味がある。三原順先生がこの薬の作用を相当調べて物語に登場させただろうことは先生のスタイルから想像に難くない。

 簡単にヘロインの特徴を述べる。ヘロインはアヘンからつくられる物質である。中枢神経系を抑制し、鎮痛、麻酔作用を持つ。精神的には苦痛が薄らぎ、心配や不安が消え、陶酔感をもたらす。強い精神的、身体的依存を生じさせる。

 特に「山の上に吹く風は」の読解に重要なヘロインの特徴は、以下の二つである。

ヘロインを大量に摂取すると強い眠気に襲われることが多く、昏(こん)睡状態に陥り、呼吸中枢の麻痺(ひ)をきたす。(引用元:平成3年 警察白書(2020年1月7日閲覧)https://www.npa.go.jp/hakusyo/h03/h030102.html
ヘロインの乱用を中断すると、激しい禁断症状が現れる。(中略)乱用者は、その禁断症状を「全身の骨が砕けるように痛くなる」、「寒気がして鳥肌が立ち、身体の骨そのものが痛く感じる」、「背中や腰の骨が砕けるように痛み、座ることもできなくなる」などと表現している。(引用元:平成3年 警察白書(2020年1月7日閲覧)https://www.npa.go.jp/hakusyo/h03/h030102.html

 前者はマックスが薬を使った際に眠くなり、夢の中で首を絞められた(=呼吸が苦しくなった)原因の一つだろう(もちろんマックスが疲れて不安だったことも原因の一つになる)。後者の禁断症状(今は離脱症状ということが多い)の内容は、雪山から助け出されたあと薬を手放した後のグレアムがなぜ自分は死んでいるに違いないと思うほどの寒気を感じたかを説明できる。

 この知識を頭に入れて、次の文章を読んでほしい。

 参考文献:

ヘロイン|e-ヘルスネット(厚生労働省)(2020年1月7日閲覧)https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/dictionary/heart/yk-057.html

不正薬物の種類(2020年1月7日閲覧)https://www.customs.go.jp/mizugiwa/mitsuyu/report2001/shiryou/syurui/025yakubutsu_jr.htm

平成3年 警察白書(2020年1月7日閲覧)https://www.npa.go.jp/hakusyo/h03/h030102.html

 

 

『山の上に吹く風は』でのヘロインに関する時系列

シャーリー「あなたなんかよりアレのほうが…」マネージャー「シャーリー」「待て、アレはやめると言ったじゃないか」「それにここで入手できるはずがないのに」シャーリー「持ってるわ!バッグに…」三原順(1977)『はみだしっ子4山の上に吹く風は』白泉社48ページより引用

 シャーリーは何らかの薬物に依存しており、マネージャーはシャーリーに薬物を持たせないようにしていた。しかし、シャーリーはバスが雪の中で遭難し、林の中へ避難して一時避難所を作っている段階で薬物を持っていた。

シャーリー「うふふっ」(中略)マネージャー「やめろシャーリー もうヘロインなんかやめるんだ」三原順(1977)『はみだしっ子4山の上に吹く風は』白泉社 50ページより引用

 シャーリーの「うふふっ」は活字ではなく弛緩したような描き文字であり、後に続く笑いながらロンドン橋を歌う様子から、薬物を摂取してハイになっていることがわかる。読者にシャーリーが所持している薬物はヘロインであることが提示される。

アンジー「グレアム 体の具合は?」グレアム「あ…今は楽だよ 彼女が薬をくれたんだ」「彼女は今とっても楽しくて…薬なんかいらない気分だからって」三原順(1977)『はみだしっ子4山の上に吹く風は』白泉社69ページより引用

 グレアムはバスが木に衝突する際に胸を強く打ち、直前の『そして門の鍵』で父親から受けた傷をさらに痛めてしまい、苦しそうにしていた(助け出されて搬送された先の病院で肋骨にひびが入ったことがわかる)。セリフ中の「彼女」がシャーリーであることはセリフの左側にかかれたコマに、グレアムに気づいて微笑みかけるシャーリーが描かれていることからわかる。シャーリーが「薬なんかいらない気分」であるということは、彼女にはまだヘロインの作用が残っているということだ。
シャーリーはヘロインの作用で正常な判断力がないまま子供のグレアムに薬を渡してしまった。

グレアム『彼女がボクにくれた薬…今必要なんじゃないだろうか?』『でも疲れた 動けない 彼女が戻ってから』三原順(1977)『はみだしっ子4山の上に吹く風は』白泉社 74ページより引用

 ここに引用した69ページと74ページのグレアムのセリフから、シャーリーは自分が持っているヘロインをすべてグレアムに渡してしまったと考えられる。シャーリーは皆に歌を披露するが、カップルの男に歌が下手だ、もう聞きたくないと否定され、傷つき興が醒め、一人で避難所を離れて散歩に行ってしまった。

マックス「グレアム…大丈夫?…薬は?」グレアム『薬…シャーリーの…とても…よくきく薬』『ボクは疲れてて…とても動けないと思ったんだ―』『でも…でも…ホントウに?考えてももう…おそい!おそい…』三原順(1977)『はみだしっ子4山の上に吹く風は』白泉社76ページより引用

 マックスの問いかけに、グレアムは言葉でも、表情でも、仕草でも、応答しなかった。この考え事の間、紙面ではグレアムの表情とアングルがかわるだけで、背景は縄アミやベタ、点描の点の代わりに十字がびっしり書かれて煙のような流線が描かれた抽象的なもの、重ねてモアレになっているトーン(三原順作品ではこの手法が多用される)といった、現実の背景でない、物思いに沈んでいるときの背景が描かれている。

 グレアムがマックスのケアをしない、マックスの問いかけを全く無視することは、普段の彼のふるまいではない。グレアムはこの時点ですでにヘロインとストレスの影響で狂い始めていたのではないか。

マネージャー「今度こそ私のもとへ来るさ…シャーリーの歌は…下手だよ いつもそれを薬にすがって… さあ 今度こそ私の番だ!私にすがってくるさ!」三原順(1977)『はみだしっ子4山の上に吹く風は』白泉社 88ページより引用

 マネージャーのセリフの次の小さなコマに、グレアムの不快そうなオドロキ顔のアップが入る。このコマの背景は切り傷のようなつけペンによる短い線でグレアムを半円状に囲んでいる。この事件より前の『レッツ・ダンス・オン』でグレアムは、自分で自分がどうでもいいような時でも他の3人、特にマックスの世話を焼くことで辛うじて自分を支えていることに気がつき、半ば自虐的に心の中で独白していた。マネージャーとシャーリーの共依存の関係にグレアムは気づき、不快になったか、同族嫌悪を覚えた。
マックスはマネージャーに同情するが、マネージャーはまとわりつくマックスを突き飛ばし、マックスは焚火に右手をついて倒れてやけどを負ってしまった。

マックス「ボク…眠い…」グレアム「痛み止めに使った薬のせいだよ」「それと…疲れてるんだ」マックス「ボク…また言われちゃった…邪魔だって…うん…!パパがいつもボクに言ってた言葉だよ…ボクなんて ホントに…」三原順(1977)『はみだしっ子4山の上に吹く風は』白泉社 89ページより引用

 グレアムはマックスに痛み止めとしてヘロインを使った。このあとマックスは眠るが、父親に邪魔者と言われ責めさいなまれる悪夢を見続け、その悪夢と交互に現実のアンジーとグレアムがマネージャーと言い争う描写が描かれる。
人が悪夢を見てうなされているとき、眠りは浅く、周りの状況を切れ切れに感じている。交互に描かれるこの場面は、言い争いと悪夢が同時進行で起きていることを表現している。悪夢を見ているマックスはこの言い争いと夢の中の父親を同時に感じて苦しんでいた。

 そして、マネージャーはついに、

マネージャー「いなくなれ!この邪魔者」夢の中のマックスの父親『おまえさえいなければ!!』三原順(1977)『はみだしっ子4山の上に吹く風は』白泉社 91ページより引用

 と怒鳴ってグレアムの首に手をかけた。同時に、マックスの悪夢の中の父親もマックスの首を絞め始めた。90ページから92ページまでは、臨場感、緊張感のあるコマ運びであるが、特に91ページの左の柱のコマーー黒の背景にベタフラッシュがいくつも描かれ、『手をかけられているグレアムの後ろ姿』『マックスの悲痛な表情のアップ』『父親に首を絞められるマックス』が上から順に並んでいる縦長の一コマーーは悪夢が現実とシンクロしていっていることを補強する表現になっている。このコマは、当時連載されていた雑誌を確認していないので推測だが、雑誌のハシラ(広告や作者直筆の近況が載せられたスペース)の部分で、コミックス化の際に加筆されたものと思われる。マックスはグレアムが襲われている危機とかつて自分が首を絞められた時のフラッシュバックを同程度のものとして感じたことが表現されている。

 幼いマックスが首を絞められた時と違って、今のマックスの手には拳銃がある。今なら過去の父親、グレアムの首を絞めているマネージャーを実力行使で拒絶できる。

マックス「やめて いやあ!!」三原順(1977)『はみだしっ子4山の上に吹く風は』白泉社 92ページより引用
マックス「でもボク言ってやったの 「ヤメロ!」って…」「もうパパいないね…」三原順(1977)『はみだしっ子4山の上に吹く風は』白泉社 93ページより引用

 マックスは拳銃をマネージャーに向けて発砲した。前述したとおり、この時のマックスは、夢と現実を同時に認識して、夢の中の父親、現実のマネージャーは同等の存在であった。だから、夢の中の父親に向かってヤメロと言うことは現実のグレアムを襲うマネージャーを止めることとイコールである。現実に引き金を引いたらたまたまマネージャーにあたったのではなく、標的はマネージャーであったのだ。

グレアム「アルフィー シャーリーのくれた薬ちょうだい」アルフィー「劇薬らしいからあまり使うなよ」(中略:グレアム、死んだ人のことを考える)『ボクもあんなふうに死ぬんだろうね』『ボク…もうすっかり死にそうなんだ』三原順(1977)『はみだしっ子4山の上に吹く風は』白泉社 107ページより引用

 グレアムたちは雪山から助け出されたが、この後グレアムの精神の状態は一年近くたった「奴らが消えた夜」にいたるまで回復しなかった。

アルフィー「グレアムの持っていた薬が麻薬だったんだ」「警察は行方不明のマネージャーを徹底的に探る気になってる…」三原順(1977)『はみだしっ子4山の上に吹く風は』白泉社 151ページより引用

 警察はこの事件に麻薬が絡んでいて、それを持っていたシャーリーが刺殺体で発見され、雪崩で死んだカップルの女が大量のヘロインとともにみつかったことで、アルフィーとマックスにかなりきつい事情聴取をした。警察は知らないが、冒頭のバスターミナルではカップルがシャーリーを指して、

女「あの人…歌手かしら?知ってる?」男「知らねェよ あんなおばちゃん」三原順(1977)『はみだしっ子4山の上に吹く風は』白泉社 11ページより引用

 と会話をしていることから、カップルの女とシャーリーは元々の知り合いではない。カップルの女がヘロインを所持していたことから、シャーリーがバスが出発するまえにヘロインを所持していなかったと仮定すると、バスが遭難した後にカップルの女からシャーリーがヘロインを渡したことになる。シャーリーが誰に刺殺されたかはわからない。マネージャーの死体は警察が見つける前にシドニーが回収し、遭難の当事者と無関係な自分の墓の中に隠蔽したため、警察はマネージャーの行方を見つけられないまま、雪山での捜索を打ち切った。

麻薬所持と殺人、行方不明が重なったこの事故(事件の疑い)について、事情聴取をした警部は

警部「捜査は続行しますよ」 三原順(1977)『はみだしっ子4山の上に吹く風は』白泉社 180ページより引用

 と、宣言した。この警部の顔は三原先生自身のペン入れであり、モブの顔ではないことから、警部は重要なキャラクターとして位置づけられている。よってこの宣言は伏線である。

しかし、この警部は、このあとマックスを死んだ女の子のアンジーのもとに連れ出して泣かせたっきり作中には出てこない。

シドニー「まあ…ちょっとばかり君達をこき使いたい策謀はあるんだがね」三原順(1977)『はみだしっ子4山の上に吹く風は』白泉社 ページより引用

 このシドニーの伏線とともに、警部の捜査の伏線は、とうとう回収されなかった。

まとめ

 『山の上に吹く風は』では、極限の状態で見ず知らずの他人たちがなりふり構わず激突したことだけでなく、ヘロインがもちこまれ、シャーリー、グレアム、マックスの精神と行動に作用したことで、この物語の展開をつくった。それは、描かれた絵や記号の表現やセリフから読み取れる。

はみだしっ子』の続編妄想

  ここからはここまで書いてきた私の妄想です。

 ここまで考えて、私は、はみだしっ子を読了してから初めて、『はみだしっ子』に時系列が未来の続編がありえたと思うようになりました。

 グレアムはマックスの殺人を清算しようとして失敗し、アルフィーの死で雪山事件のことで迷惑をこうむる人間が誰もいなくなったことで、はみだしっ子のラストでグレアムは黙っている必要もなくなったと解釈してました。そして雪山事件があたかも解決したかのように錯覚してしまっていました。

 でも、今回改めて精読して、はっきりと伏線として描かれている捜査を続ける警部を見つけてしまったわけです。グレアムはマネージャーをだれにも顧みられない人間と考えて告白して荷を下ろし、ジャックに判断をゆだねたが、それで事件が追究される手が止まるわけではないという当たり前のことに気づきました。

 グレアムはある意味雪山事件について一つ落としどころを見つけて、『はみだしっ子』もそこでラストを迎えるのですが、アルフィーの死が捜査されれば、いずれシドニーが生きていることに誰かがたどり着いて、ひょっとするとあの警部にたどり着くかもしれません。『Die Energie 5.2☆11.8 』ではルドルフが主人公だったけれど、続編の『X Day』ではダドリーになったように、続編は4人が中心ではなく、シドニーや警部が主人公のミステリーになっていたかもしれませんね

尾形百之助を『ゴールデンカムイ』内の親子関係の比較から読みとく

※20巻までのネタバレがあるよ!!

 

 

 

 

なぜ尾形の行動や感情表現は読み解くのがこうも難しいのか

 尾形は難しい。自分に構ってほしかった父母を殺したり、アシリパの相棒のようにふるまったかと思えば、自分を殺させようとしたり、殺さないといわれるとアシリパ(小文字のリが入力できないので以下表記はアシリパで統一する)に銃を向けたりする。尾形の欲求とそれを成就させるための行動は逆転している。まっすぐではない。殺しちゃったらいよいよ構ってもらえないし、銃を向けた人間とは普通相棒にはなれない。この記事では尾形がなぜここまでひねくれてしまったのか論ずる。

ゴールデンカムイ』内の親子たち

(図1)親子関係と「大事にする」「ひどいことをする」「「無視する・構わない」をする」の矢印。矢印の種類を決定する根拠になる作中での行動や言動を書き添えている。

 読みにくい図で申し訳ない。(図1)は尾形について考えるときに比較対象になる親子関係を示している。ひだりから江渡貝家、鯉登家、尾形の血縁、アシリパの血縁内で、血縁内の構成員同士が相手にどう接してきたかを描いている。江渡貝くんと尾形は、ともに親からひどい仕打ちを受けて苦しんでいる。音ノ進、尾形、アシリパはともに偉大な父を持ち、その後継者となることを周囲に期待されている。構造に共通点をもちながら、尾形の周囲の人間への感情の表現は、ほかの三人のまっすぐさとは違い、ひねくれていて読み解くのが難しい。

 特に、江渡貝くんと音ノ進、尾形では、鶴見中尉へのなつき度合いがちがう。音ノ進はともかく、親と親しさを持てなかった江渡貝くんと尾形にとって、鶴見中尉は初めて自分を認めてくれた人間なのに、前者はべったり依存、尾形はなつき度0という正反対な違いは何から生まれるのか。

 これは鶴見中尉の「人たらし術」の性質によるものである。鶴見中尉は戦争大好き人間ではあるが、部下や協力者にはとても理解が深く優しさを持ってふるまって人をたらしこんで利用している。鶴見中尉が「人たらし術」を使えるのは、本人が人の心がわからずただ目的のために人間の情や行動について研究したからというわけではないことが、18巻でスパイ時代に彼が愛のある家庭を築いていたことからわかる。彼はフツーにいわゆる人の情がわかるし、前頭葉が吹き飛んだ後もそれは変わらなかったのだ。

(図2)長谷川(鶴見)家の関係。左は妻子が誤射により殺されたときの表情である。

 あの鶴見中尉すら「大事にする/される」関係の中にいることができる。江渡貝くんはひどい過干渉のなかにいたが、逆に親に無視されることはなかった。音ノ進は見捨てられ不安はあるが、「大事にする/される」関係の中にいることはできる。だからこそ鶴見中尉は、人と人の間には相互に作用する正なり負なりの感情があって互いがそれに動かされるという前提で、それぞれへの甘い言葉を考え出し、江渡貝くんや音ノ進をたらしこむことができる。

 尾形だけは鶴見中尉の甘言に篭絡されない。尾形だけは、「大事にする/される」関係の中にいないうえに、父からも、そばにいた母からも、注意を向けられなかった。父を求め続けていた母を、尾形は殺して父に葬式に来てもらおうとするが、父は来なかったのである。彼は人が人を大事にすることが受け入れらるところも観察したことがないし、自分の母を大事にする行動も、母に全く受け入れられなかった。尾形の対人関係の経験は、鶴見中尉の「人たらし術」の前提から外れているので、なびくことはないのである。

 尾形だけは、心の中でもいつも独りなのだ。

勇作の出現

 そんな尾形は、異母弟である「正しい息子」勇作に出会った。勇作は、清らかで純真無垢であり、尾形を兄様と呼んで慕った。勇作は、高貴な生まれで、戦地では旗手(ゲン担ぎで童貞しかできない)として先頭に立ち、味方を鼓舞していた。尾形は勇作を女遊びに誘ったり(尾形は芸者の息子である)、敵を殺すように言ったりするが、勇作はそれを拒絶した。勇作は、父からのいいつけで、敵を殺さないことで自分は偶像となり、勇気を与えることができるのだといった。誰もが人を殺すことで罪悪感を生じるから、人を殺していない清らかな勇作が犠牲になる覚悟で先頭に立つことが、敵を殺している味方たちを鼓舞することができる。尾形は罪悪感などありはしない、みんな自分と同じように感じないはずだといった。

 そんな尾形に勇作は

(図3)尾形を祝福する勇作 

 勇作からすれば、これは尾形を大事に思っているがゆえに、兄様だって心の通った人間ですよ、という祝福だった。しかしこの時点で、尾形は大事にされることを受け取れなかった。知らないから、受け取るやり方。誰にもそんなこと教わらなかったし、見たこともなかったから。むしろ尾形には「人を殺して罪悪感を感じない人間がこの世にいて良いはずがない」という言葉を、自分の存在否定、呪いと感じただろう。実際、20巻136pで尾形はアシリパに、これの意趣返しをした。(なぜ勇作に返すはずのものがアシリパに対してのものになってしまうのかは後述)尾形は勇作を殺し、父にその話をして「呪われろ!」と罵られ父を殺した。

 そして尾形を高貴な血をひくものとして祭り上げて利用しようとする鶴見中尉を裏切って、いつの間にか杉本・アシリパ陣営の中に入り込んだ。仲間になったわけではないが。

アシリパと尾形

 杉元・アシリパ陣営の中では、尾形を含めて、思想はばらばらだが、アシリパがカギを握る金塊のありかを知るために助け合っている。土方陣営の「忠義」とも鶴見陣営の「崇拝・狂信」ともちがう、「馴れ合い」の空気が杉元・アシリパ陣営のなかにある。その中心にあるのは、「親と子」でも「同志の先輩と後輩」でも「上司と部下」でもない、「相棒」という関係だろう。

 (図4)杉元とアシリパの関係とそれを観察している尾形。尾形はスナイパーなので遠くから観察する能力にたけている。人間の感情に対してもそうであることは、アシリパが金塊のヒントに気づいたときの一瞬の表情の変化に気づいたのが尾形だけだったことからうかがえる。

 前者2つはタテのつながりだが、「相棒」はヨコのつながりである。このふたりのヨコの線上で、杉元・アシリパ陣営の者たちは、生の脳みそとチタタプをうけいれ、いつのまにかヒンナ、ヒンナと言いながら食事を囲むようになる。尾形すらその例外ではない。

 アシリパはほかの新参者にするのと同じように、尾形に

(図5)アシリパのもてなしと尾形

という。これはアシリパと良い関係を築くための通過儀礼と言える。最初、尾形は脳みそを拒絶し、チタタプもなかなか言わなかった。しかし、この儀礼はしなければ陣営を追い出されるという性質のものではない。そのあたりに杉元・アシリパ陣営は思想がバラバラなヨコのつながりの集団であることが反映されている。

 そして、尾形もかなり時間はかかったが、網走あたりで初めてチタタプを言い、16巻183pでは当然のようにアシリパの手からトナカイの脳みそをかじり、17巻187pではとうとう初めてヒンナと言う。尾形の「チタタプ」「ヒンナ」をアシリパは喜び、ほかのみんなにも聞いたか?と共有しようとする。尾形とアシリパの間には確かに感情の相互作用が生じ、お互いがそれに反応し受け入れたのだ。

勇作とアシリパ(二人に対する尾形の視角)

 ところで、勇作とアシリパには相同性がある。二人とも、偉大な父を持ち、その後継者としてなるべく育てられた祝福された子供である。そして、勇作は父に、アシリパは杉元に、清くあれかしと、前者は命じられ、後者は願われ、人殺しの罪から逃れている者である。なによりも、勇作とアシリパは尾形を大事にする行為をしたものだ。

 尾形は勇作とアシリパを比べることで初めて勇作の好意を遅れて受け取り、熱で浮かされて勇作の幻覚を見たのかもしれない。はじめて「人を殺した罪悪感」に取り憑かれたのかもしれない。熱が冷めた後にヒンナと初めて尾形が言ったのは偶然重なった描写ではなかろう。勇作の祝福がはじめて「分かりかけた」あとに、尾形の心にアシリパが心地よい形で入り込んだことが表出された描写は、尾形の心の中でなにかが萌芽したことを示している。

 

 (図6)アシリパと勇作の相同性と、アシリパの相棒枠

 アシリパの父殺しを共謀したキロランケからはなれて、アシリパと二人きりになったとき、尾形ははっきりと杉元を手本にして、「アシリパの相棒として」ふるまった。しかし、アシリパに「お前はなにひとつ信用できないッ」(19巻131p)と拒絶された。大事にされた記憶は遠のき、勇作とアシリパの清くて自分を否定するものとしての側面が尾形の心の中で強調され、アシリパへの好意のようなものはプラスからマイナスへ転じ、ついに度を失い、自分を殺してみろといって拒絶したアシリパ「…お前達のような奴らがいて良いはずがないんだ」(19巻136p)と銃を向けてしまう。お前達とは清いもの、アシリパと勇作だ。もちろんアシリパに銃を向けたとなれば、杉元は黙ってはいない。しかしアシリパが杉元の大声に驚いて意図せず毒矢を放ってしまい、尾形の右目に刺さってしまった。アシリパは動揺し、尾形はにんまりした。清いものをけがして同じところまで落とせたと思って。しかし、アシリパを人殺しにさせない、尾形の死に関わらせないという杉元の願いによって尾形は生かされた。もちろん杉元は尾形を全く許していないので、回復した尾形は逃げ出した。アシリパが関わらないやり方で杉元は尾形を全力で殺そうとするだろう。殺してみろといったりしても、尾形だって死にたくはないのだ。尾形も生きたいのだ。

尾形の行動原理の推察

 尾形がこういうとき(?)に相手に到底受け入れられないような極端な行動に出ることは赤ちゃんが大声で泣くことと同じである。赤ちゃんはお腹がすいたり、むずかゆかったりするときに、大声で泣いて、誰かに気づいてもらえば赤ちゃんはケアを受け満たされる。満たされている間は泣く必要もない。無視され構われなければ、気づいてもらえるまで音量をあげながら泣き続けるしかない。その泣き声こそが人をさけているとしても、本人には知りようがない。欲求が満たされるまで試みを終わらせられない。

 尾形の心理的逆転からくる悪循環からの逸脱の兆しを、勇作が植え、アシリパが水を注いだ。それが成長するかは…。

 

(この記事は自分のnoteから転載し一部加筆修正したものです。)

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