考えるおるにちん

おるにちんがマンガアニメその他について考えたこと

五年ぶりにダーウィンが来た!を見た

 中学二年になって、初めて古めかしいホルマリン標本の並べられた生物室で、生物を習う生徒たちに先生はこう言った。

 

「『ダーウィンが来た!』はとても生物の勉強になるから見るといいよ」

 

 以降私はその教えを忠実に守り、この番組を視聴する習慣は浪人を経て大学進学で家を出るまでの6年間続いた。平原綾香の曲で始まり、三部構成で、各章の間にも関連したトピックや最新研究を紹介し、生物学上重要な概念には時々図による解説を交えたわかりやすいものだった。楽しい番組であった。

 

ちょっと待った!誰かのことを忘れてはいませんか?

 

 そう、ヒゲじいの存在である。彼はヒゲの生えたカメなのか色の抜けたモリゾーなのか判然としない謎の生物である。彼は毎回ナレーションを「ちょっと待った!」と遮り、質問を差し挟み、ナレーターに答えてもらっては、納得したり、時にはもう一度反駁したりした。そして最後には必ず「布団が吹っ飛んだ」並みのダジャレをかまして、ナレーターにサムがられるのであった。

 ヒゲじいのダジャレは思春期真最中の少女には決して快くないものであった。サムかった。生物の行動や仕組みに「ワザ名」をつけることと同じくらい子供っぽいと思った。ただ生き物の映像と解説に浸っていたかったので、ヒゲじいがこの番組に登場する意味がないとさえ思うこともあった。

 

 初めてダーウィンが来た!を見てから十年以上たち、テレビのない生活を経て、実に五年ぶりに番組を続けてみる機会があった。

 

 奇妙だった。ナレーションがなかなか遮られず、よどみないのだ。一度ヒゲじいが出て、質問をして、ナレーターが答えて、引き下がっていった。ヒゲじいはダジャレを言った。ナレーターがダジャレについて「さすがヒゲじい」といった。明らかにおかしい。ナレーターがヒゲじいをほめるのは、ヒゲじいが鋭い質問を放った時のはずだ。構成は二部構成で、後半にはヒゲじいが登場すらしない。しかも内容は、三部構成のうち、おまけ程度の長さの感動的な部分を引き延ばしたような、生物学的な解説の存在しない内容であった。「もう一度、ちょっと待った!」がなくなったということだ。そして『マヌールの夕べ』という次回予告と内容が重複する謎のゆるいアニメが、三部構成のころには2度あったトピック紹介の枠を1つ埋めていた。なんということだ。こんなことになってしまって、ダーウィンが来た!は、生物学として面白い番組ではなくなってしまった。

 

ちょっと待った!

 

なあに、ヒゲじい。

 

 本当に番組そのものが面白くなくなったのですか?一つの回をみただけでは、全体のことは分かりませんよね?偏った作りの回をたまたまみてしまっただけ、なのでは?

 そうだね、ヒゲじい。私もその可能性を考え、自分が持っているサンプルを増やそうとしたんだ。つまり、五週にわたって連続して視聴したんだ。五回とも、ヒゲじいの出番は一度しかなかったんだ。そして、五週目に私は自分に悲嘆をもたらす現象を目の当たりにしたんだ。

 

 今日の放送は、二週連続の群れをつくるチーターの後半回だった。前半ではすでにヒゲじいが一つ質問をし、そのあとの出番はなかった。チーターの内容にその場にいた人に、ここが疑わしいなどとやいやい言いながら、後半の構成がどうなるか固唾をのんで見守っていた。ヒゲじいが出てきた。ダジャレを言った。ナレーターがおだてた。退場した。

 

もうそれ以上は見ていられなかった。私はテレビを消した。もうヒゲじいは、あの頃のヒゲじいじゃない。

 

もう一度、ちょっと待った!

 

来ましたね、ヒゲじい。

 

 私の出番がちゃんとあって、ダジャレを言えたんですよ?私の番組における役割は果たされたと思いませんか?

 そうだね、確かに中学生のころの私も、ヒゲじいの役割はダジャレを言って年少の視聴者を和ませることだと思っていたんだ。けれど、私は大学で生物学系の学部に入って、自然科学や生物学でのものの考え方やその正しさの検証の仕方について、たくさん留年してまで何年も学んでから、ヒゲじいの真の役割は、質問をすること、提示された考えについて批判的な見方をすることだと気づいたんだよ。その批判的思考をするくせを若い視聴者にみせることだったんだよ。それがなくなってしまった今、あの頃のヒゲじいはいなくなってしまったと考えるのが妥当なんだよ。

 でも、それはあなた自身だけが抱えている、そうあるべきという理想に基づいていませんか?番組は、テレビを見ているみんなのためのもの、ですよね?みんなが楽しんでいるなら、今の私でもいいのではありませんか?

そうだよ、ヒゲじい。だから私は番組を見続けて、批判や質問をテレビに向かって投げかける。答える人がなくても、私はあの頃のヒゲじいになるんだよ。

 

おわり